●垂柳遺跡ってなあに?

【垂柳(たれやなぎ)遺跡ってなあに?】

日本北端の水田跡
 垂柳遺跡は、青森県田舎館(いなかだて)村で発見された弥生時代(約2000年前)の遺跡です。
 ここで水田跡が発見されるまでは「東北地方北部に弥生時代はなかった」と言われていました。
 しかし、以前から出土していた弥生式土器と合わせて、昭和56年に水田跡が発見され、東北地方北部にも弥生時代が存在していたことを証明しました。
 垂柳遺跡の水田跡の発見は、考古学史や農業史を書き換えるほどの大発見でした。 

昭和57年に発見された水田跡
昭和57年に発見された水田跡

発掘調査風景
発掘調査風景
発掘調査風景
発掘調査風景


洪水によって埋もれた遺跡
 垂柳遺跡は、洪水によって埋もれた遺跡です。過去の噴火で八甲田山(はっこうださん)の山麓(さんろく)には、たくさんの噴石物(ふんせきぶつ)が降り積もりました。
その噴石物が雨によって川に集められ、洪水となって垂柳遺跡を襲(おそ)ったのです。 
垂柳遺跡基本土層
垂柳遺跡基本土層

白い層は洪水(こうずい)の層です。垂柳遺跡でも洪水が何度もあったことがわかります。
この洪水層は、遺跡を発掘調査する上で、大事な目安(めやす)となります。
畦畔検出状況
畦畔検出状況

白い層を薄く削り取っていくと、あぜが黒い格子状になって現れてきます。
人とくらべて見てください。1枚の水田跡がとても小さいことがわかります。大きいもので22.43m2、小さいものでは1.11m2でした。
足跡検出状況
足跡検出状況
水田に残された足跡
あぜを残し、白い部分を取り除くと当時の人の足跡がたくさんあらわれてきます。
足跡はおとなから子どもまであります。
家族みんなで農作業に従事していたことが想像できます。
足跡検出状況
足跡検出状況

同一人物の歩行経路


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